F-15はマクドネル・ダグラス社(現ボーイング社)の開発した大型の制空戦闘機。イーグル(鷲:Eagle)の愛称を持つ。
第4世代ジェット戦闘機に分類される、長射程ミサイルの運用能力と高性能なレーダーを持つ双発の大型制空戦闘機である。また、イーグルを駆るパイロットは「イーグルドライバー」と呼ばれる。
アメリカ空軍の保有・運用したF-4の後継として開発された。二枚の垂直尾翼を持つとはいえ平凡な平面形の主翼に水平安定版を組み合わせた保守的な設計のまま当時としては画期的な機動性を実現した機体である。採用国は2007年現在までに空戦における被撃墜記録はないとしている[1]。単座型と複座型の2種類があるが飛行性能・戦闘能力に大きな差はない。
一機当りのコストが約3,000万ドル(アメリカ空軍での単価)と高価な機体となったため、アメリカ空軍ではF-16との「Hi-Lo-Mix」運用を甘受し、また購入可能な国は限られた。それに加えてその能力から政治的・軍事的に親密な国への売却に限られた結果、新造機からの運用はアメリカの他イスラエル・日本・サウジアラビアの3ヵ国のみの総計1,233機(ライセンス生産を含む)で終わった。
F-4と共に冷戦下のアメリカ空軍とマクドネル・ダグラス社を代表する戦闘機といえる。現在では主力の座を派生型のF-15Eや、後継機であるF-22に譲りつつある。
開発の経緯
前史
1956年に配備の始まったサイドワインダーを装備したF-86が、1958年の台湾海峡における金門砲戦時の大規模な空中戦などで戦果をあげた[2]。これを受け、アメリカ空軍では今後の戦闘機同士の戦闘は「遠距離から射程の長いミサイルを発射して相手を撃墜するものになる」という「ミサイル万能主義」が主流となり、対空兵装としての機銃は軽視されるようになっていった。また、1950年代のソ連によるM-4バイソン、Tu-95ベアといった新型爆撃機の配備を重大な脅威と看做して、対抗する必要を唱える「ボマーギャップ」論が広まった。そのためにアメリカ空軍は、要撃機と爆撃能力の拡充に重点を置くこととなった。
これらの結果、新規開発の比重は対戦闘機戦闘を主目的とした制空戦闘機から、(核)ミサイルによる爆撃機要撃のためのF-102を始めとした要撃戦闘機や、対地攻撃力を補充するF-105のような戦闘爆撃機に移っていった。当初F-86の後継とされたF-100も徐々に戦闘爆撃機に転用され、F-101やF-104も運動性を軽視した仕様となった。
結果、アメリカ空軍にはベトナム戦争開始時期に充分な格闘戦能力を持つ機体が無く、緒戦での同士討ちに対する文民の反応として押し付けられた有視界外戦闘を禁止した交戦規定により、旧式のMiG-17相手の格闘戦闘に巻き込まれて苦戦を強いられた。幸運にも1961年当時の国防長官のロバート・マクナマラの推し進めた空海両軍の機種統一により、導入したF-4戦闘機が比較的機動性に優れていたため、ベトナム戦争を凌ぐことはできた。
さらにマクマナラ国防長官はコスト削減と合理化を図るべく、空軍主体で開発する戦闘爆撃機を海軍向けに艦隊防空用の要撃機に発達させ共通化を図るTFX計画を進めたが、重量増加、エンジン(TF30)のストール、海軍用の新ミサイル(AIM-54)や新火器管制装置(AWG-9)の開発遅延といった問題が山積し、結局、空軍用のF-111Aのみ実用となった。だが、ようやく実用化に漕ぎ着けたF-111Aもコスト高や運動性能等の問題を抱えていた。
F-X開発
海軍はTFX実用化断念後の1965年に、次期戦闘攻撃機VFAX(後に中止)や次期戦闘機VFX(後のF-14)の開発研究を開始していた。空軍もF-111どころかF-4さえ重すぎて制空戦闘に不適と考え、同年4月、F-Xの開発研究に着手した。 1966年3月、ノースアメリカン・ロックウェル、ロッキード、ボーイングの3社とTactical Support Aircraft(戦術支援機)に関する4ヶ月間の概念作成研究契約を締結した。同年9月3社の研究結果の評価を完了したが、開発方針の決定には至らなかった。その概要は以下の通りである。
機体重量約27トン(60,000lb+)
瞬間最大速度マッハ2.7、最大速度マッハ2.5
推力重量比0.75
F-111よりも良好な加速・上昇等飛行性能を有し、可変後退翼を備える
中射程空対空ミサイル・爆弾を装備
この様な中、1967年7月に行われたモスクワ・ドモジェドヴォ空港での航空ショーでMiG-25が突如出現して上空を高速で通過していった。ソ連はこの航空ショーに、MiG-23・MiG-25・Su-15を初めとした試作機や実験機を含む多種の機体を、第3世代ジェット戦闘機として出品した。MiG-25の公開も周到に演出されたものであり、大きな衝撃を受けた西側の航空機専門家はソ連の意図通りにその実体以上の過大な評価を下した。 アメリカ空軍首脳も公開された機体に対抗し得る機体を自軍に保有していないと考え、ソ連の爆撃機に加え、戦闘機にも危機感を募らせていった。
空軍での制空戦闘機の検討時期に、各方面のキーマンからファイター・マフィアと呼ばれる少人数のグループが出現していた。その中の一人、ジョン・ボイドは自らの「Energy-Maneuverity理論」を基にした判断によりF-Xの最初の提案要求(RFP)を却下し最終版に改定した[3]。 1967年8月にマクドネル・ダグラスおよびジェネラル・ダイナミクスの2社と、戦闘機に関する6ヶ月の概念作成契約を締結した。
モスクワ航空ショーの翌年の1968年9月に、アメリカ空軍は国内の航空機メーカー8社と研究契約を結びRFPを出した。RFPの主な内容は以下の通り。
マッハ0.9、高度30,000フィートにおける高G機動でバフェットを生じない
上記空力特性を持つ翼を使い、広い飛行速度高度域で充分なEnergy-Maneuverity運動能力を持つ
空中給油、または増槽のみで大陸間のフェリー・フライトが可能
搭載兵器システムは全任務に対して一人で操作可能
現実的な空対空戦闘を想定して4,000飛行時間の疲労寿命の安全係数を4として試験で証明する
最新の技術を利用したコックピット艤装を行い、特に近接格闘戦ではヘッドアップディスプレイを利用する
理論整備工数は1飛行時間あたり11.3人時のレベル
構成機器の平均故障時間は上記整備工数内で対応
コックピットは360度の全周視界
機内設備で主エンジンを起動
機体構造、電気、油圧、操縦システムは戦闘状況下で無事に基地に帰投できる高度の生存性を持つ
対戦闘機戦闘装備状態の総重量は40,000ポンド(約18.1トン)級
サブシステム、構成部品、装備品は少なくとも試作品による実証済みのものに限る
最大速度は高空においてマッハ2.5
ルックダウン能力を持つ長距離パルス・ドップラー・レーダーを備える
これらに加え、試作競争は実施しないことや空対空戦闘能力に重点を置く事も決定する。
1968年12月、提出された各社案を基にマクドネル・ダグラス、フェアチャイルド、ノースアメリカン・ロックウェルの3社を選出して、詳細提案のための6ヶ月の研究契約を結び、各社は期日通り設計案を提出した。フェアチャイルド社案は、胴体の両側の変形デルタの主翼の半幅にエンジンナセルを置き、二次元型エアインテークから排気ノズルを一直線に配置した、双発一枚垂直尾翼の機体であった。ノースアメリカン・ロックウェル社案は、オージー翼を持つブレンデッドウイングボディ構成の胴体下に二次元型エアインテークを付けた、胴体内並列双発一枚垂直尾翼の機体だった。
これらに対しマクドネル・ダグラス社案の機体は、前縁45度というそれほど大きくない後退角を持つ、広い面積の主翼を持っていた。これは当時の超音速戦闘機には、まず採用されることのないものだった[4]。この時、マクドネル・ダグラス社は37,500ページにも及ぶ文書を提出、設計にはコンピューターを用いて数千種類の機体形状を検討していた。
原型機発注
プロトタイプのYF-15A(SN 71-0284)
主翼先端及び水平尾翼の形状が異なるのがわかる1969年12月にアメリカ空軍はマクドネル・ダグラス社と開発契約を結んだ。設計主任はジョージ・グラーフ、空力担当にはドン・マルバーンが就任した。また、セントルイスの工場では、2基の空対空戦闘シミュレーターが開発され、研究に用いられた。
本開発では900時間以上の設計改善が行われ、風洞実験では100種類以上の主翼形状のテストが行われた。これら各種の実験・試験の結果、F-4の4倍以上ものテストデータが得られたという。風洞実験の結果、主翼前縁の高揚力装置を省く代わりコニカルキャンバーを与え、大迎え角でも高い揚力が得られるようになった。これが前縁45度という後退角を持つ主翼を有するに至った経緯となる。
F-4の戦訓も生かされた。F-4は双発機であるにも拘らず、片方のエンジンが被弾すると、双方のエンジンが停止するケースがあった。火災による墜落などの事故もみられた。機体構造の見直しを行った結果、F-15にはエンジンの間に耐熱性のチタニウムを背骨として組み込み、エンジン部分の被害拡大を防ぐ設計とした。これに加え、消火システムやエンジン回りへのチタニウムの多用、燃料タンクの配置変更なども行われた。
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エンジンの開発はプラット・アンド・ホイットニーとゼネラル・エレクトリックの2社が行い、1970年3月にプラット・アンド・ホイットニーがF100ターボファンエンジンの開発契約を結んだ。初期推力テストは1972年3月末までに終了し、1年後には型式証明テストを終了させた。
レーダーはヒューズ社とウェスチングハウス社の提案から1970年9月にヒューズ社のAPG-63レーダーを選定した。
固定武装のM61A1機関砲では、当初フィルコ・フォード社の無薬莢式の弾薬を使用する予定であったが、不規則な弾道性能が問題となり、フィルコ・フォード社からの開発期間の延長の申し入れを受け入れずに計画をキャンセルし、従来の弾薬を採用することとなった。
1971年2月、アメリカ議会上院歳出委員会はF-14とF-15の比較検討を行い、F-14はF-15の任務をすべて果たせるが、F-15はF-14の任務をすべて果たすことはできないとF-15の劣性を指摘し、空軍・海軍共に同じ機種を採用すべきとの、F-111の教訓を無視した意見が挙げられた。これに対し空軍は、F-14は艦隊防衛に特化した機体であり、F-15は機動性の高い制空戦闘機であると反論した。一方、アメリカ国防総省内部からはF-15をベースとした海軍型(艦上戦闘機)のF-15Nの検討を指示する動きもあった。
開発にあたり当初12機、1972会計年度で8機の前生産型を発注し、それぞれ以下のような作業やテストが割り当てた。
F1 ( 1号機) (71-0280) 性能領域の探求、運用特性、外部搭載物テスト
F2 ( 2号機) エンジンテスト
F3 ( 3号機) アビオニクス開発、気流速度計測(これ以降の機体はAPG-63火器管制装置を搭載)
F4 ( 4号機) 構造テスト
F5 ( 5号機) 機関砲・兵装・兵装架射出テスト(これ以降の機体はM61A1 ガトリング砲を搭載)
F6 ( 6号機) アビオニクスのテスト、及び飛行制御・ミサイル発射評価
F7 ( 7号機) 兵装、燃料、兵装架
F8 ( 8号機) スピンテスト、高迎角評価
F9 ( 9号機) 機体、エンジン適合評価
F10 (10号機) レーダー、アビオニクステスト
T1 (11号機) 複座型評価。後にF-15S/MTDとなる
T2 (12号機) 複座型。マクドネル・ダグラス社のデモンストレーター。後にF-15Eのプロトタイプとなる。
F11 (13号機) 実用テスト
F12 (14号機) コンフォーマル燃料タンク装備機:実用テスト
F13 (15号機) 実用テスト
F14 (16号機) 気象環境テスト。テスト終了後にイスラエルに売却
F15 (17号機) 使用されず、イスラエルに売却
F16 (18号機) 実用テスト、及びデモンストレーター後にイスラエルに売却
F17 (19号機) 「ストリークイーグル計画」に使用
F18 (20号機) 使用されず、イスラエルに売却
1972年6月26日に初号機がマクドネル・ダグラス社セントルイス工場で完成。同日、ロールアウトを記念した式典が行われた。
後日一旦分解され、C-5輸送機によりカリフォルニア州のエドワーズ空軍基地への搬入・再組み立てを受け、7月27日にモハーヴェ砂漠上空でマクドネル・ダグラス社チーフテストパイロットのアービン・L・バローズにより、約50分間の初飛行を実施した。1973年7月には飛行回数1,000回を数え、その間に最大速度マッハ2.5、最大到達高度18,290mを記録した。
2年余りに及ぶ原型機による試験・評価作業による修正は以下の細部変更に止まり、原設計の堅実さを証明することとなった。
主翼端後部の切り落とし
水平安定板へのドッグ・トゥースの追加
エア・ブレーキの大型化とそれに伴う開度制限
機体
F-15C外形はF-111やF-14の可変後退翼、F-16のブレンデッドウィングボディといった新機軸を採用することなく、MiG-25やA-5といった前例のある肩翼配置クリップトデルタ翼に双垂直尾翼と全浮動の水平尾翼を配置した堅実な構成で、主翼はコニカルキャンバーを与えることで前縁フラップを省略して単純フラップと補助翼のみを動翼とした簡素なものである。なお、主翼付け根の膨らみはストレーキ類似の離着陸性能と運動性向上の効果を持つ。この主翼付け根の膨らみは機関砲の内蔵スペースともなり、また、後方へ延長されて尾翼の取り付け部となっている。
胴体上面キャノピー後方に大型のエアブレーキを装備してドラグシュートを廃止している。このエアブレーキは、アルミ・ハニカムと炭素繊維複合材(グラファイト・エポキシ)を組み合わせた軽量構造になっている。水平尾翼と垂直尾翼はチタン、間にアルミ・ハニカム、表面をボロン繊維複合材を使用し、軽量かつ強固な構造となった。他にも、軽量化と耐熱性強化のためにエンジン周りや主翼取り付け部の円矩などの各所に構造重量の25%以上に及ぶチタン合金を使用しており、外形からは窺えないF-15の特徴となっている。
機体最上面に張り出す涙滴型キャノピーは単座型と複座型で大差がない程の大きな空間により抵抗を増やさず360度の視界を確保している。初期の機体では高温強度の高いポリカーボネートにアクリルを拡散蒸着した材質だったが、紫外線による劣化で曇りが出たため強化アクリルガラスに変更された。
操縦系統は操縦桿・ペダルと舵面の油圧サーボ・シリンダーをメカニカル・リンクで接続し、方向舵及び水平尾翼とのリンクに並行してCAS(Computer Augumentation System)を追加して安定増強や操舵補正を行っている。F-16のようなフライ・バイ・ワイヤとはなっていないが、メカニカルリンクが破損してもCASにより飛行を継続できる。
アビオニクス
火器管制システムは高性能のレーダー(APG-63/70シリーズ)を中心とした高度の自動化設計により単座運用を実現している。APG-63レーダーの最大探知距離は小型戦闘機程度の投影面積(レーダー・クロス・セクション)の目標に対しては100マイルとされている。搭載のデータリンクを使用した早期警戒管制機(AWACS)との連携により高度の迎撃能力を発揮する。機密性が高く輸出を許可していなかったTEWS(Tactical Electronic Warfare System:戦術電子戦システム)はAN/ALR-56レーダー警戒受信機、AN/ALQ-128電子戦警戒装置、AN/ALQ-135内蔵妨害装置、AN/ALE-45 チャフ・フレアディスペンサを統合し、自動化を進めたものである。
エンジン
テスト中のF100プラット・アンド・ホイットニー社のF100ターボファンエンジンを2基装備する。初期型のF100-PW-100でも1基当たり10,810kgの推力を発揮するため、何も装備しない("クリーンな")状態であれば推力重量比は1を超え、主翼の揚力を利用せずにエンジン推力だけで垂直に上昇できることになる。実用上は推力のみで上昇できることに意味はないが、十分な余剰推力は高機動下における急激な運動エネルギー損失の回復に生かされる。
胴体の左右にある二次元型インテークは、上方4度下方11度で可動し内部の可動式斜板やバイパス口と協調動作して様々な姿勢及び速度において、適切にエンジンに外気を誘導する。
持続時間制限を受けない最高速度はマッハ2.3であり、マッハ2.3を超え公称最高速度の2.5まではエンジン吸入空気温度その他の制限から1分間以内の過渡使用に制限されている。
なおF-15Aでも高度10,000ft?45,000ft格闘戦闘時基準重量33,000lb前後ならばミリタリー推力により僅かながらマッハ1.0を超える速度での飛行が可能である。
武装
F-15Cの下面F-15の武装はベトナム戦争の戦訓より固定装備とした右翼の付根前縁のM61A1バルカン砲(装弾数940発)を始め、主翼下の2か所のパイロンの両側のサイドレールに計4発のAIM-9 サイドワインダー、胴体下面の4か所のランチャーに計4発のAIM-7 スパローとなっている。
M61A1バルカン砲の940発という装弾数はF-4に比べて約50%増加しており、14バースト(1バーストとは約1秒の射撃のこと)の射撃を行える。機関砲の射線は空中戦用途を主として機体の基準線から2度上に向けている。
スパローの電波誘導セミアクティブホーミング方式は電波誘導アクティブホーミング方式ではミサイル自体で行う目標への電波照射を母機から行うため、誘導部が簡単で小型軽量になる代わりに命中まで母機の運動を制約するという欠点を持つ。このため、半導体技術の進歩により誘導部の小型化を果たしたアメリカ軍のAIM-120 AMRAAMや航空自衛隊の99式空対空誘導弾といった電波誘導アクティブホーミングミサイルの運用能力がF-15に追加されている。
この他にも各国向けの仕様の変更や使用武装の追加など様々な更新を正式採用以後も受けている。
拡張性
約30年も前に設計された機体であるが、将来の発展のための余裕を持った設計とされたため、ロシアのSu-27、国際共同開発のユーロファイター タイフーン、フランスのラファール等の新鋭機の登場した現在でも、各種の近代化改修(新型ミサイル対応、アビオニクス、エンジンの換装)によって第一線での任務をこなす能力を維持している。
アフターバーナーを使用して離陸するF-15C
AIM-7 スパローを発射するF-15C(2005年)
無誘導爆弾を搭載したF-15A
エンジンノズル
先端にIRCM装置を備えた垂直尾翼
嘉手納基地の米空軍所属F-15C(1986年)
機首に備わるAPG-70レーダー
右主翼前縁に備わるM61バルカン砲
大型のエアブレーキ