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白旗伝説

ペリーは浦賀来航の際に幕府に旗を二本贈っているが、旗の種類及び贈った目的は不明。高麗環文書では、「開国か降伏か」を迫る文書を同時に渡したとされる。二本の旗のうちひとつは白旗であり、降伏の際に用いる旗であると説明されていたという。ただし同文書に記載された内容は当時の状況と矛盾する点が多く、日本史の専門家からは一部の人を除き偽書と判断されている。

ペリーの『日本遠征記』によると、2度の来航で100発以上の空砲を祝砲、礼砲、号砲の名目で撃っており、日本側史料には、これが大混乱を巻き起こしたことが記録されているが、いずれも被害は無く、実戦は行っていないはずである。ところが、1月16日に結集した「ポーハタン」以下七隻の内、蒸気船二隻と帆船三隻が安房国(千葉県)洲崎を砲撃した、と日本側の古文書にある。
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事件は嘉永7年1月23日(1854年2月21日)丑の下刻、洲崎を警護する備前岡山藩陣地への砲撃であった。艦船の砲弾は陣地の手前10メートルほどの海中に落下した。備前藩は非常召集を行って大砲5門を以って砲撃、蒸気船二隻は逃走したが、帆船三隻に命中した。備前の守備隊は舟艇で帆船への乗船を試み、反撃を受けて300名ほどが死傷したが、三隻を「御取り上げ」(拿捕)した。しかし、この事件は2月1日(2月27日)の記録を最後に途絶えている。また、他に一切の情報が無い為に、文章の信憑性が疑われている。

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2009年06月10日 07:03に投稿されたエントリーのページです。

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